解釈;ai俳句 かなしみの〜

かなしみの片手をひろげ渡り鳥

というaiが作った俳句が選者によって最高得点を得た、と朝日新聞の一面に掲載された。

 

意味不明のこの句をaiが作ったことを頭から取り払って、数日考えた。

 

以下は強引な素人解釈です。

 

作者は両手に抱えきれないほどの悲しみ(哀しみ)を感じていた。

空を見上げながら、そのかなしみの半分くらいを手放した。

空を飛ぶ渡り鳥のように、私も自由だったらいいのに、あるいは、自由だったらかなしみと別れられるかもしれない、と思った

 

私の自己流解釈はさておき、季語との取り合わせの独自性は、aiの方が優れていくのではないかと思った。

なにせ、勉強量が凄い。

ただ、技巧と物珍しさに溺れてしまったら、自己満足のいやらしい作品になる可能性もある。

それを俳人たちが追随したならば、現代詩のような運命を俳句もたどるのではないかと危惧する。

難解でだれも口ずさんだリしないというような。

 

あらためて、人間の作者にエールを送りたい。なぜなら、感動を通りこした作品をまだaiは作れないのだから。