オリンピック〜ブラック労働の系譜
1964年の東京オリンピックに逆上ってみよう。
当時は海外渡航は制限され、対ドルは360円の固定相場制だった。
留学の機会はほとんどなく、難しい試験に勝ち抜いてフルブライト奨学金を得た人が辛うじて大学への留学が許された。
その当時、留学生の多いICU(国際キリスト教大学)にはネイティブと話すことができる数少ないチャンスがあった。
そこでICUの学生がオリンピックの通訳として養成され活躍した。
現在、通訳界の重鎮にICU出身者が多いのはこんな経過がある。
1964年の時点では学生がオリンピックの手伝いをするのは、将来につながる貴重な体験だっただろう。
どの程度有償だったのかは私の知るところではないのだけど。
ボランティアなんて言葉はありましたっけ?
それにオリンピックは今みたいに商業主義ではなかったし。
1970年に開催された大阪万博では、ミニスカートをはいたコンパニオンが多数活躍していたけれど、制服も支給されたし、短期雇用でお給料も支給されていたはずだ。
しかし、2020年に至っては事情は大きく変化している。
お金さえあれば留学はできるし、町中に英会話教室があふれている。
ボランティアやるメリットがはっきりしないのに、なかば強制的に駆り出される学生こそいい迷惑だ。
ただ、就職活動でオリンピックでボランティア活動に参加しなかったのが不利にならないかと(つまり、不従順な扱いにくい人物と見られる)心配だ。
それにオリンピックはこんなに商業主義ではなかった例として、
気象庁が「一番晴れの日が多い日」を統計学から割り出して10月10日開催が決まった。
今は、「秋はほかのスポーツで視聴率が稼げるから、夏の開催は動かせない」というスポンサーの要望で、「熱中症になる危険があるので、不急な用事以外は外出しないで下さい。スポーツも戸外での活動は避けて下さい」という時期に安倍首相の「その時期はマイルドで過ごしやすい季節です。フクシマもアンダーコントロールです」という根拠のない招致発言で東京オリンピックが決まった。
高校の内申書にボランティア活動の有無を記載して大学推薦入試に有利にするよう、文部省(当時)か政府が奨励したのは、いつのことだっただろうか?
その場合も、「平和活動をしてデモや集会に行ったり、署名を集めたりしました」なんてのは、悪いボランティア活動で書かない方がまし。
被災地で無償で活動しているボランティアの方々には頭が下がります。
けれど、自発的な活動であり、強制されたものではない。
オリンピックにはおかしなことがてんこ盛りだ。