大坂なおみの人柄は日本人だからか?従兄姉は日米二重国籍

スポーツ界でパワハラやら暴力行為の報道が相次ぐなかで、大坂なおみさんの謙虚さや品格(grace)はさわやかな風を送ってくれ、スポーツが人格形成に役立つという当り前のことを思い出させてくれた。

 

それが「日本人だから」「美しい国日本の血が混ざっているから」というナルシストな論評が幅を利かせているように思える。

彼女のご両親の家庭教育や彼女自身の生来の性格が主な人格形成の要因だと思うが、お母さんの価値観に「『競争に勝てば良い』とだけ思ってはいけません」という昔ながらの日本の教えがあったのかもしれない。

 

見渡せば、周りの人たちがみんな謙虚で品性があるわけでもないし、日本の政治はぐちゃぐちゃ!

 

私の従兄姉は日米二重国籍で、その分苦労したのを身近で見てきた。

 

祖父が貿易商をしていてアメリカの市民権と国籍を持っていた。

叔母はサンフランシスコで生まれたのでアメリカの国籍があり、どういうわけか従兄姉たちは、日米二重国籍を持っていた。

妹の私の母は祖父がアメリカから日本に帰国する船上で祖母(日本から渡米して祖父と結婚)は妊娠中で生まれたのは日本。

だから、母も日本国籍しか持たないし、私も日本国籍のみだ。

 

丁度帰国した翌年1923年に関東大震災が起き、横浜の本町通り(山下公園の向かい:ちなみに山下公園関東大震災のがれきで海を埋め立ててできた地域)に事務所を構えていた祖父はレンガが頭を一撃し亡くなった。当時、横浜にはモダンなレンガ作りの建物が並んでいた。

 

日本からアメリカへ渡って成功し、アメリカンドリームを実現する手前で祖父は亡くなった。その後、祖母や叔母、母は苦労したそうだ。

 

従兄には特に「アメリカンドリームの実現を」というプレッシャーが重くのし掛かったようで、日本の高校を卒業するとアメリカへ旅立った。

従兄はアメリカでの話はしたがらなかった。

もはや、移民のサクセスストーリーが簡単に実現する時代ではなくなっていたうえに、アメリカ国籍があるので徴兵制の義務が待っていた。

ベトナム戦争公民権運動の前の時代だ。

兵役後、従兄は黒人に差別的な非難を浴びせていた。

きっと、黄色人種だからと自分は差別されたのだろうと思う。

 

従姉は日系アメリカ人と結婚したけれど、離婚。

離婚を考えていた時、娘を連れて日本に帰ったことがある。

日本の幼稚園で体格の良い姪は日本の子どもたちに「太っている」とか「でぶ」とか言われたらしく、とても怒って

「私のはfat(脂肪)じゃない。muscles(筋肉)なのよ」とまくしたてた。

4才だか5才の子どもの自己主張に私はぶったまげた。

当時私は学生運動吹き荒れる大学で右往左往していたし、周りの活動家だって姪みたいに自分の意見を持っている人は多くはなかったかもしれない。

 

そして、姪は「ダディとアメリカで暮らす」と決断し(!!)以来、母親とは音信不通になってしまった。

 

従姉はアメリカに戻ってたくさん恋はしたらしいけれど独身で過ごし、50才の時日本に戻ってきた。その時も「〜(国)人は嫌い」と平気で言っていて、それはやめて欲しいと思ったものだ。

従兄は、早くに帰国して日本人の女性と結婚。

従兄も従姉もヘビースモーカー。

特に従姉と話をするとすごく疲れた。

いつも「私は負けないわよ」という姿勢がビンビン伝わってきて、アメリカに暮らすのはしんどそーと思わざるをえなかった。

 

ふたりとも60才前後で肺がんで亡くなった。

従姉は娘に会いたいとも言わず、そもそもどこにいるのか分からず、葬儀に参加することもなく、行方は分からないままだ。

 

私は馴れ合いの日本の人間関係の中で、従姉の孤独を恐れない強さを学んだけれど、真似ができているかどうかは自信がない。

 

従兄姉たちの人生を思い出すと、日本人だからと決めつけるのは、はなはだ困難だ。

 

アメリカ苦手の私が「日本人的じゃない」と言われたり。

 

大ざっぱな国民性はあるかもしれないが、やはり問われるのは個人の品格、人格だろうと思わざるをえない。