安田純平さん解放〜イラク人質事件の悪夢

生死さえ危ぶまれていた安田純平さんが突如解放された。
日本政府の態度は一貫して『見殺し』のはずだけれど、武装勢力が拠点を離れざる状況に追いつめられ、安田さんは足手まといとなってカタールと交渉。そして、何もなす術を持たない〜中東での外交ルートのない日本政府はカタールの要求に沿って多額の金(3億円とも言われている)を支払ったらしい、というのが現在のところ有力な説である。

カタール武装勢力の間にどのような交渉があったのか?
いわゆる「人質ビジネス」に加担しているのかも不明。

多分、真実は闇に葬られるだろう。
安田さんの「日本政府がなにか助力してくれた、という誤解はどうしても避けたかった」という言葉から、日本政府の無為無策な態度が垣間見えるのは、確かだ。

安田さんは強い。
2004年4月イラクで人質になった3人のことを思い出すと心が痛む。
「あいつらを英雄にするな」と叫んだのは、公明党幹部。
人質解放のため、私も議員会館に行った。
その時、ある若い女性が「日本がどんどん変な気持ちの悪い国になっているのに耐えられません」とスピーカーで発言していた。

それから、「アラビア語のプラカードを見て、日本人の中にもアラブ人民の味方はいることが分かった」
と言って、人質は解放された。
安田さんも拘束されていたけれど、「自分は人質ではない」と言って、(私には根拠は当時も今も理解できていないが)帰国後フリージャーナリストとして活躍してきた。

あれ以来、日本はますます気持ちの悪い国になっていっている。

広告代理店の戦略が政治を振り回しているようにみえる。

安倍外交とは、各国を訪問し金をばら撒くことしかしていないではないか!
国内で使うべき用途がたくさんあるではないか❢単なる対米従属路線の補強と経済界の要求に従っているにすぎない。

「自己責任」という、ペイオフ制度で使われていた金融用語を持ち出して、バッシングが始まった。
人質3人は、イラクで人質になっていた時より、帰国後のバッシングの方が辛かった、と述べている。

あの当時は、国内世論が「政府が行くなと勧告を出しているイラクにのこのこ出かけた3人が悪い」という方向に一斉に傾き、私は真剣に海外移住を考えたものだ。

当時と異なる点は、安田さんの長期間に亘る人質生活に耐えたことの称賛、政府の「見殺し政策」への疑問、カタールへの謝礼金の拠出、戦場ジャーナリストの役割への理解の深まり、無為無策だったのに今回の救出劇の手柄を吹聴する安倍政権への嫌悪感などから、世論も一方向に流れるわけには行かないようだ。

中東地域での情報網を構築すること、かつて「日本は経済的援助はしてくれるが、内政干渉やら軍事行動への加担はしない信頼できるくに」という評価を取り戻し、中東和平のキーパーソンとしての役割を期待する。